軽井沢宿(かるいさわしゅく)
軽井沢は、江戸期、宿場町でした。軽井沢宿(かるいさわしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて十八番目の宿場として栄えていました。
江戸側の隣の坂本宿との間に碓氷峠があり、高低差がかなりありますから、江戸から来て峠を越えてここで泊まったり、峠に挑む前にここで休んだりしたわけです。
中山道のルートは、沓掛宿と言われた中軽井沢から斜めに旧軽井沢に向かい、旧軽井沢銀座を通って二手橋を通過して北東に向かう道であり、新道と言われた国道18号ルートではありません。
碓氷峠はもとは、旧軽井沢の北東のところだったのです。幕府は、この旧碓氷峠の先の坂本に関所を置いて旅人を監視していました。
ところが、明治になり各地で道路整備が進められますが、軽井沢・松井田間でも明治17年に碓氷新道が開通してしまったことから、旧軽井沢の宿場は人通りが無くなって困ってしまいます。
ショーらが、軽井沢を訪れたのは、ちょうどそんな時だったのです。