日本人鉄道技術者の祖 本間英一郎
本間英一郎は、辰野金吾と同い年のマサチューセッツ工科大学卒の技術者です。
やはり九州出身で、福岡藩士本間源水の子として生まれ、慶応元年藩命により長崎で英学を学び、明治2年土木研究のために米国へ留学するという経歴をもっています。
明治2年というと、まだ東京大学はなく、工部大学校もありません。辰野金吾が工部省工学寮(のちの工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学したのが、明治6年です。
そんな時代に留学して我が国の鉄道技術の進歩に貢献しました。
工学の偉人は、軽井沢にいち早く目を付け、まだアプト式鉄道が軽井沢まで敷かれる前に別荘を建てたそうです。そして、鹿島岩蔵にも土地購入を勧めた。
ところで、本間の別荘が建てられたのは何時だったのでしょうか?
もちろん明治26年よりも随分前でしょうし、ひょっとしたら明治17年よりも前かもしれません。場所は長倉だと思いますが、軽井沢の日本人第1号別荘は、鳥居義処でも雨宮敬次郎でもなく、本間英一郎なのかもしれません。