肥田浜五郎の軽井沢別荘

冬苺庵

2017年01月08日 23:16



肥田浜五郎も早くから軽井沢に別荘を設けた人物です。

肥田浜五郎は、豆州肥田氏の末裔で、韮山代官江川太郎左衛門英龍の侍医の子。英龍の手代見習となり、江戸で伊東玄朴に蘭学を学びました。

長崎海軍伝習所第二期生となり、長崎海軍伝習所では機関学を修めた後、咸臨丸の蒸気方(機関長)に選ばれ、山本金次郎(副長)、岡田井蔵、小杉雅之進(機関方見習士官)を率いて太平洋往還を成功に導きました。この際、体調がすぐれない艦長勝海舟に代わり、肥田や小野友五郎(測量方)、浜口興右衛門(運用方)が操船を主導したと言われています。

明治政府では、岩倉使節団にも加わり、岩倉使節団理事官として欧米各国を歴訪しています。

肥田が明治のいつ頃に軽井沢に別荘を構えたのかは不明ですが、明治22年に亡くなっていますので、その前ということになるでしょう。肥田の別荘も野沢源次郎によって大正時代に買い取られた土地の中にあったものと思われます。