2016年10月22日

日本人鉄道技術者の祖 本間英一郎

日本人鉄道技術者の祖 本間英一郎

本間英一郎は、辰野金吾と同い年のマサチューセッツ工科大学卒の技術者です。

やはり九州出身で、福岡藩士本間源水の子として生まれ、慶応元年藩命により長崎で英学を学び、明治2年土木研究のために米国へ留学するという経歴をもっています。

明治2年というと、まだ東京大学はなく、工部大学校もありません。辰野金吾が工部省工学寮(のちの工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学したのが、明治6年です。

そんな時代に留学して我が国の鉄道技術の進歩に貢献しました。

工学の偉人は、軽井沢にいち早く目を付け、まだアプト式鉄道が軽井沢まで敷かれる前に別荘を建てたそうです。そして、鹿島岩蔵にも土地購入を勧めた。

ところで、本間の別荘が建てられたのは何時だったのでしょうか?

もちろん明治26年よりも随分前でしょうし、ひょっとしたら明治17年よりも前かもしれません。場所は長倉だと思いますが、軽井沢の日本人第1号別荘は、鳥居義処でも雨宮敬次郎でもなく、本間英一郎なのかもしれません。





Posted by 冬苺庵 at 10:39│Comments(3)
この記事へのコメント
平賀義質に引率されて、本間英一郎・井上良一がボストンに留学したことが、福岡市史に記載されています。
二人は帰国後、福吉舎という私塾を開いたそうです。本間が造営学、井上が法律学を担当したとか。
Posted by 冬苺庵冬苺庵 at 2016年10月24日 06:04
私はこの本間英一郎の甥 ( 妹の長男 ) の孫です。母は女学生の頃夏休みに姉、弟と軽井沢の別荘で静養中 ( 引退後 ) の大伯父を九州から尋ねて行った時の事を話して呉れた事が有りましたが、その頃( 1950年頃 ) 小学生の私には、そんな人が先祖に居たなんて、へ〜 てな 事でしたが今になって考えると大変な事だったと、もっと色々聴いておけば良かったと残念に思っています。 MITを卒業して帰国した後鉄道の仕事について、アチコチの新線建設に従事した様ですが、一番有名なのは信越線を APT 式で開通させた事の様です。 私も子供の頃から鉄道マニアでしたので、大学生になって最初の夏休みに九州 宮崎へ帰省する際アチコチ遠回りした中で碓氷峠のAPT式を実体験しました。1960年7月の事でした。
長々と個人的なことを書き連ねまして済みません。 又何かの折に続きを........。升山
Posted by 升山直昭 ( マスヤマ ナオアキ ) at 2024年05月28日 18:55
升山直昭 様
はじめまして
私は、碓氷峠鉄道施設群と本間英一郎氏の研究をしています。
英一郎氏の甥(妹の長男 ) のお孫さんとのことですが、父本間源水には長女シマさん、3男英一郎氏のほかに妹がおられ、お名前は「貞」さんでよろしいでしょうか?
シマさんの3男の徳次郎氏が、英一郎氏の養子となられ、そのご子孫とは現在交流がございます。
不躾で恐縮ですが、ご教示いただけますでしょうか。
Posted by 萩原豊彦 at 2024年07月03日 00:19
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