2016年11月30日
軽井沢の三井三郎助別荘
これは現存する日本人別荘です。
小石川三井家の8代当主、三井三郎助は、明治32年に軽井沢の土地を取得し、翌33年頃、洋館・和館の別荘を設けます。
三井三郎助別荘は、明治26年に建設された八田別荘や、明治26年以前と言われる鹿島岩蔵別荘と並ぶ初期の別荘ですが、現存している洋館の建物は、日本人別荘であるのに洋風の体裁であることが、早くから西洋式の暮らし方を取り入れた三井家らしさを映し出しています。
明治33年というと本陣のところに軽井沢ホテルが出来た年で、万平ホテルは未だ今のところにはなく、宿場で営業していた時代でした。
Hホテルが、旅籠の亀屋を明治27年に改造した亀屋ホテル。明治29年に万平ホテルに改称。明治35年に桜の沢で営業開始。
701番が三井三郎助別荘だそうです。
この別荘には、連ドラで有名になった広岡浅子や日本女子大創設者の成瀬仁蔵もよく滞在したそうです。
その近くには、今、日本女子大の三泉寮があるのですが、日本女子大は、小石川三井家出身の広岡浅子(6代当主の四女)の働きかけで三井財閥から目白の地を寄贈されて創設できた大学です。目白に創設したのは明治34年ことでした。
きっと軽井沢で日本女子大設立について語り合ったのでしょう。
小石川三井家の8代当主、三井三郎助は、明治32年に軽井沢の土地を取得し、翌33年頃、洋館・和館の別荘を設けます。
三井三郎助別荘は、明治26年に建設された八田別荘や、明治26年以前と言われる鹿島岩蔵別荘と並ぶ初期の別荘ですが、現存している洋館の建物は、日本人別荘であるのに洋風の体裁であることが、早くから西洋式の暮らし方を取り入れた三井家らしさを映し出しています。
明治33年というと本陣のところに軽井沢ホテルが出来た年で、万平ホテルは未だ今のところにはなく、宿場で営業していた時代でした。
Hホテルが、旅籠の亀屋を明治27年に改造した亀屋ホテル。明治29年に万平ホテルに改称。明治35年に桜の沢で営業開始。
701番が三井三郎助別荘だそうです。
この別荘には、連ドラで有名になった広岡浅子や日本女子大創設者の成瀬仁蔵もよく滞在したそうです。
その近くには、今、日本女子大の三泉寮があるのですが、日本女子大は、小石川三井家出身の広岡浅子(6代当主の四女)の働きかけで三井財閥から目白の地を寄贈されて創設できた大学です。目白に創設したのは明治34年ことでした。
きっと軽井沢で日本女子大設立について語り合ったのでしょう。
Posted by 冬苺庵 at 19:08│Comments(0)