2016年10月31日
ジョンレノンゆかりの万平ホテル128号室
今の万平ホテル本館であるアルプス館は、1936(昭和11)年に出来た建物で、近代化産業遺産にもなっています。
設計は、久米設計の創立者、久米権九郎。施工は井上組でした。久米の兄弟の平八郎の妻は一柳敏子で、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの姪ですから、軽井沢との縁は色々あるのではないかと思います。
このアルプス館は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが気に入って良く使っていたそうで、その時の宿泊部屋である128号室はとても人気があります。

120番台は、二階ですね。130番台は三階になります。偶数は南側で、奇数は北側です。128号室は南向きの部屋ということになります。入り口の方を向いているわけです。
アルプス館は、左右対称の建物になっていますが、右の方の二階真ん中の部屋が128号室です。
ジョンレノンが軽井沢を訪れるようになったのは、ヨーコの父親の別荘が軽井沢にあったからだそうです。オノヨーコは、母磯子が安田善次郎の孫で小野家も軽井沢と鎌倉に別荘を持つ裕福な銀行家でした。
ジョンレノンは、1977年から亡くなる前年の1979年まで毎年一月ほど滞在していたそうです。また、ハッピーバレーに二人の別荘を設けて利用していました。
テラスカフェで今も飲めるロイヤルミルクティーは、ジョンレノンのリクエストで、ジョン本人に作り方を教えて貰って提供するようになったものと言われています。
設計は、久米設計の創立者、久米権九郎。施工は井上組でした。久米の兄弟の平八郎の妻は一柳敏子で、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの姪ですから、軽井沢との縁は色々あるのではないかと思います。
このアルプス館は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが気に入って良く使っていたそうで、その時の宿泊部屋である128号室はとても人気があります。

120番台は、二階ですね。130番台は三階になります。偶数は南側で、奇数は北側です。128号室は南向きの部屋ということになります。入り口の方を向いているわけです。
アルプス館は、左右対称の建物になっていますが、右の方の二階真ん中の部屋が128号室です。
ジョンレノンが軽井沢を訪れるようになったのは、ヨーコの父親の別荘が軽井沢にあったからだそうです。オノヨーコは、母磯子が安田善次郎の孫で小野家も軽井沢と鎌倉に別荘を持つ裕福な銀行家でした。
ジョンレノンは、1977年から亡くなる前年の1979年まで毎年一月ほど滞在していたそうです。また、ハッピーバレーに二人の別荘を設けて利用していました。
テラスカフェで今も飲めるロイヤルミルクティーは、ジョンレノンのリクエストで、ジョン本人に作り方を教えて貰って提供するようになったものと言われています。

Posted by 冬苺庵 at 07:11│Comments(1)
この記事へのコメント
桧館も、近代化産業遺産になっています。
この建物は、明治の中頃の建物でアルプス館よりも古く、東京の鳥居坂にあったものを移築してきた総桧作りの建物です。
三井財閥十一家の連家の一つである鳥居坂家のものだったとのこと。その一部が移築されました。
この建物は、明治の中頃の建物でアルプス館よりも古く、東京の鳥居坂にあったものを移築してきた総桧作りの建物です。
三井財閥十一家の連家の一つである鳥居坂家のものだったとのこと。その一部が移築されました。
Posted by 冬苺庵
at 2016年10月31日 07:31
