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2016年10月19日

鳥居義処(よしずみ)の牧場開発



雨宮敬次郎に土地を売った 鳥居義処は、小諸の人で小諸の御牧ヶ原の開拓を手掛けた人物です。

牧場経営ですね。

そして、軽井沢にも手を伸ばし、牧場開発をする傍らで、植林事業も行いました。

従って、雨宮敬次郎が軽井沢で初めて落葉松の植林をしたのではありません。

鳥居義処のほうが早い。

北佐久郡長も経験した鳥居義処も、政治力があったようで、鳥居が軽井沢に建てた別荘には山県有朋や桂太郎が滞在したという記録が残っているそうです。

鳥居別荘は現存していないと思いますが、雨宮敬次郎の別荘は、現存しているので、見に行かれた方も多いと思います。

当時の建物が現存するならば、現存する日本人第1号別荘ということになるかもしれません。

二人の別荘は、何時建てられたのか。上の論文では明治17年で同年だそうです。

未だ、ショー師とディクソン先生は、軽井沢を訪れていません。


  


Posted by 冬苺庵 at 19:07Comments(2)

2016年10月19日

軽井沢で雨宮敬次郎がカラマツを植林



鹿島岩蔵が落葉松の木を植える前にも、落葉松を軽井沢に植えた人物がいました。

あの雨宮敬次郎です。

郡長であった鳥居義処から明治16年に100ヘクタールの土地を購入して毎年30万本ずつ植林して、700万本を植えたと言われています。

雨宮敬次郎が軽井沢の落葉松林の景色を作った。

雨宮が最初に買ったのは、国道18号の南側の土地だそうです。それにより、軽井沢最大の地主になったそうです。

まだ、ショー師とディクソン先生が軽井沢を来訪していない時期です。

  


Posted by 冬苺庵 at 07:34Comments(1)

2016年10月18日

軽井沢ホテル鹿島の森のイラストマップ



感じが良いイラストマップです。

鹿島岩蔵が手に入れた土地は、ホテル周辺から近衛レーンの周りにかけてと思われます。

六軒別荘を建てた時に、岩蔵は旧街道(離山通り、旧中山道)まで道をひき落葉松を並木として植えたそうです。

その道が、後に近衛レーンと呼ばれる道になった。

この辺りの真っ直ぐな落葉松並木の道は、軽井沢を象徴する景色になっています。

鹿島岩蔵が、それを創り出していったということですが、鹿島エリアの南の恵みシャレーや鳩山通り辺りのエリアは、大正期の野沢源次郎の開発地になります。

  


Posted by 冬苺庵 at 06:57Comments(0)