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2016年11月08日

外国人別荘の増加

明治23年に英国公使ヒュー・フレザーが英国公使館別荘を建てる前の明治22年、ショー師の知人の貿易商キルベ、青山学院教師ヴェール、頌栄学館教師ミス・アレキサンダーが早くも別荘を建てたことが分かっています。

このうちミス・アレキサンダーMiss C.T.Alexanderは、宣教師でもありました。彼女は、軽井沢の自分の別荘で頌栄学館の女生徒20余名のために林間学校を開いたことが知られています。これが「日本で最初の林間学校」と言われています。

この年避暑客は生徒を除いて30余名となったそうです。

アプト式鉄道が開通し、八田別荘が建てられた明治26年の後も、外国人の別荘は増え続け、明治28年には宣教師セオドアM.マクネアや実業家ジョンストン、明治29年には英国公使館書記官ガビンスが別荘を建てたと言われています。


左の丸がマクネア。右の丸は、今もショー記念礼拝堂として引き継がれている礼拝堂の当時の建物。

こうして外国人が増え、様々な教派の人達が集まるようになったため、明治30年、超教派のユニオンチャーチが創立されます。

今も残るその建物は、ボウナルらの鉄道技師クラブとして建てられたものを移築したものだそうです。ユニオンチャーチの大講堂は、音楽会などに使用されたため外国人の間ではオーディトリアムと呼ばれていたそうです。

増改築を重ね、大正期にヴォーリズにより改修設計されましたが、どの部分をどう改修したのかが分かりません。
  


Posted by 冬苺庵 at 05:51Comments(0)

2016年11月05日

ジョンレノンのロイヤルミルクティー



万平ホテルのテラスカフェで今も飲めるロイヤルミルクティーは、ジョンレノンがないのか聞いたらメニューにないというので作り方を万平ホテルに教えたという話が伝わっています。

ジョンレノンは、バコタハウス前で射殺される前年まで夏は万平ホテルを利用していたそうです。
  


Posted by 冬苺庵 at 20:35Comments(0)

2016年10月31日

ジョンレノンゆかりの万平ホテル128号室

今の万平ホテル本館であるアルプス館は、1936(昭和11)年に出来た建物で、近代化産業遺産にもなっています。

設計は、久米設計の創立者、久米権九郎。施工は井上組でした。久米の兄弟の平八郎の妻は一柳敏子で、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの姪ですから、軽井沢との縁は色々あるのではないかと思います。

このアルプス館は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが気に入って良く使っていたそうで、その時の宿泊部屋である128号室はとても人気があります。



120番台は、二階ですね。130番台は三階になります。偶数は南側で、奇数は北側です。128号室は南向きの部屋ということになります。入り口の方を向いているわけです。

アルプス館は、左右対称の建物になっていますが、右の方の二階真ん中の部屋が128号室です。

ジョンレノンが軽井沢を訪れるようになったのは、ヨーコの父親の別荘が軽井沢にあったからだそうです。オノヨーコは、母磯子が安田善次郎の孫で小野家も軽井沢と鎌倉に別荘を持つ裕福な銀行家でした。

ジョンレノンは、1977年から亡くなる前年の1979年まで毎年一月ほど滞在していたそうです。また、ハッピーバレーに二人の別荘を設けて利用していました。

テラスカフェで今も飲めるロイヤルミルクティーは、ジョンレノンのリクエストで、ジョン本人に作り方を教えて貰って提供するようになったものと言われています。

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Posted by 冬苺庵 at 07:11Comments(1)